gron

ただの言葉

多様性
めんどくさくてなにが正しいか真理をないものとしてきた.あるかはわからないけど,

それを今日考えるべきとふと思い,それから考えてみてる.

そして今日は凄いことに気づいてしまった.

自分は他人に気を遣い, 配慮するのに使うエネルギーを省いてる. 自分でそう感じていた. だが, 中々それを立証する行動との因果関係がつかめていなかった.

それを見つけたのだった.f:id:shy-tron49:20180215233528p:image

人は自分が他人のことを理解できるか, 少しでも理解できるかもしれないという可能性を汲み取った時には, 相手を理解しようと試みる.

僕にとってはそれがとても煩わしかった. 理解できるときは, パッと理解できるかいつの間にか理解できてることくらいしかないと思っているので理解できそうでできないものは, 理解しようとしても無駄だと思う. なのに, 理解できそうだから自分が説明を加えたりして最終的に, 端的で一般的な話そうとしてたこととはかけ離れた内容になってしまう.

そこで僕がその煩わしさを解消するために
あるものを編み出していたということに気づいた.

 

 

まずロジックとして,

理解できそうなことを自分が発信するから相手は, 理解しようとし, 僕の苦手な煩わしさが生まれる.

ということは, 僕の発信することが相手にとって理解ができるできないの範疇を超えていれば煩わしさは解消される. と思った.

まだ、それが完全にできているわけじゃない。
でも順調だ。

つまり、虚構というか。 意味わかんないことを言う。
そこで大事なのは、あくまで伝えたいことはあるので本質がともなってなければ虚構をつくった意味がなくなってしまうので。
虚構の本質をテーマに最近は話しています。

この文も意味がわからないかと思いますが、それが無意識に心にひっかかっていて、いつかぱっとわかる日が来ることを願っています。